植物からのイソプレンとモノテルペンの放出

1 テルペン類の放出量

 植物が生産し放出する非メタン系揮発性炭化水素
(Biogenic Volatile Organic Carbon, 以下BVOCとする)の主成分は
イソプレンとモノテルペンです。これらはテルペン類として総称されます.
BVOCの年間放出量の推定が試みられており,この値は人間活動由来の
揮発性炭化水素の年間排出量より高いと示されてきました(IPCCレポート2001).
つまり,自動車や工場の排ガス中に含まれるベンゼンやトルエンなどの
炭化水素ガスの総量より多いのです.特にイソプレンは放出量が最大で,
全BVOC放出量の50%を占めると推定されます(Guenther et al., 1995).

2 テルペン類の重要性

2.1 大気化学の観点

 テルペン類は大気中でオゾンやヒドロキシラジカルと反応性が極めて高く,ヒドロキシラジカルとの一連の反応によって局地的なオゾン生成(Daum et al., 2000)や,オゾンとの反応でピノンアルデヒドなどエアロゾルの凝結核の元となる粒子状物質や過酸化物の生成に関与します(Yokouchi and Ambe, 1985).みなさんがご存知の炭化水素には、ベンゼンやトルエンといった有害物質があると思いますが、これらよりテルペン類のほうが反応性が高いのです.反応性が高いため、オゾンやヒドロキシラジカルがあるとすぐに反応して別の物質に変化します.放出されてもすぐに分解されるため、大気中濃度が極めて低いのです(0.1~10ppbv).この点がしばしば誤解され,濃度がそんなに低いのだから,大気中での作用はそれほど重要でないと誤って認識される場合があります.
テルペン類は大気化学の観点から非常に重要な物質なのです.

2.2 生態系の炭素収支の観点

 最近では,BVOCとして放出される炭素量が無視できず,森林の炭素収支を
検討する際,森林からの有機炭素の放出を加味する必要性が指摘され始めています.
例えば,Geron et al.(2002)はコスタリカの熱帯湿潤林で放出されるBVOCが
純生態系炭素交換量(NEE)の10%であると見積もりました.
炭素純生態系交換量(NEE)とは、森林生態系と大気との間で交換される炭素量の
ことで、光合成以外に植物(葉、幹、土壌)の呼吸、土壌微生物の呼吸などを
含みます。森林がどの程度炭素を吸収する能力があるかを知るため、日本でも
CO2交換量の測定が活発に行われています。
 Guenther(2002)は地球上の年間BVOC 放出量を炭素換算で1.2 PgCと
見積もっています.この見積もりは多くの不確定要素を含みますが,大気中の
年間CO2増加量(3.3 PgC)やミッシングシンク(1.8 PgC)に対して同オーダーであることは注目に値しますね.放出されるBVOCが大気中で最終的に二酸化炭素に分解されることを考慮すると,森林の炭素交換量をCO2のみで評価することは,森林の炭素吸収能力を過大評価する危険性を少なからず含みます.

3. テルペン類の放出と地球環境変動

 テルペン類の植物からの放出は温度の上昇とともに高まることが示され,広く使用されているG93モデルによると,葉の温度が25℃から30℃に高まると,イソプレンの放出は2倍,モノテルペンの放出は1.5~2.5倍になります.このことは,地球の温暖化によりテルペン類の放出量が増大し,有害物質のオゾンが郊外でも多く作られたり,森林生態系から今以上にテルペン類として炭素が出て行くことを意味します.
 しかし,この推定は短期間(数時間)のデータから得た式に基づいており,植物の環境順化のような長期にわたる環境適応反応の予測には利用できません.そのため、テルペン類放出がCO2濃度や気温の上昇といった気候変動に対してどのように変化するかを長期の栽培実験にて調べることが、重要な研究テーマとなります.また、日本を含むアジア地域では、欧米と比較して研究が遅れており、どの植物がイソプレンを放出し、どの植物がモノテルペンを放出するか、といったデータベースがありません.地道な研究ですが、BVOCデータベースを作ることも重要なのです.

4. 当研究室での研究

1998年以来、以下に示す様々な測定を行ってきました.
①長野県大芝高原アカマツ林でのモノテルペンのフラックス測定
②富士吉田アカマツ林での林床および針葉からのモノテルペンの放出測定
③北海道苫小牧フラックスリサーチサイト(カラマツ林)でのモノテルペンフラックスの測定
④静岡県の新技術開発財団植物園でのBVOC放出種の同定
⑤ミツマタの個葉のイソプレン放出と温度、光との関係
⑥アラスカトウヒからのイソプレン放出と温度の関係
⑦ブナ科樹木20種からのイソプレン放出と温度、光との関係

 このうち、一部の成果は以下の論文にまとめています.

谷 晃,伏見 嘉津裕,温度と光強度がミツマタのイソプレン放出におよぼす影響,農業気象,2005. 60, 273-283.
Hayward, S., Tani, A., Owen, S., Hewitt, C. N., On-Line Analysis of Volatile Organic Compound Emissions from Sitka Spruce (Picea sitchensis Bong.), Tree Physiol., 2004. 24:721–728.
Tani, A., Nozoe, S., Aoki, M., Hewiit, C. N., Monoterpene fluxes measured above a Japanese red pine forest at Oshiba plateau, Japan. Atmospheric Environment, 2002. 36(21) : 41-52.