- はじめに -
現在の日本においては、科学的根拠に基づいた栄養教育・健康教育・食育方法やその評価方法のエビデンスが開発途上にあります。そこで当研究室では、主に健常者の生活習慣病をはじめとする疾病の一次予防のための科学的根拠に基づいた効果的な栄養教育方法の検証とその評価方法の確立を目指し、鋭意研究に努めています。
また、現在、日本の管理栄養士養成施設の栄養教育学分野からの研究成果を国際誌に発表しているところは、残念ながら少ないというのが現状です。栄養教育の研究は、ヒトを対象とした研究で、様々な限界があり、研究成果を発表するまでに時間がかかる等、論文発表が難しい分野ではあります。私達の研究室は、主任教授、助教、学部4年生、博士前期・後期課程の学生と少ないスタッフですが、当研究室から日本の栄養教育の研究成果を、国際誌にて発表し、日本の栄養教育の研究成果を継続的に世界に発信していきたいと思っています。当研究室では、学部4年生の行う研究も国際誌に発表しています。当研究室で育った卒業生が社会でエビデンスに基づいた栄養教育を行うことができるよう、実践のための知識やスキルはもちろんのこと、研究スキルも身につけて卒業・修了しています。このような教員と学生の一つ一つの努力の積み重ねから、日本の栄養教育学のレベルアップ、ひいては世界で活躍できる管理栄養士の養成に貢献できると確信しているからです。
以下の研究内容は、2007年4月(栄養教育学研究室主任教員・桑野が着任後)から当研究室で行っている研究成果です。当研究室の研究内容は、国際誌に発表しているため、日本の学術雑誌のようにお目に触れることは少ないかと思いますので、本研究概要を読んでご興味を持って下さるならば、日本人の栄養教育のエビデンスとして、栄養教育、健康教育、食育の際にぜひとも当研究室の研究成果を活用していただけますと大変嬉しく思います。
生活習慣病予防・改善のための栄養教育プロジェクト
- 「食環境の整備」と「栄養教育方法の探索」 -
生活習慣病の予防と改善のために、私達は、以下の2つの研究プロジェクトを行っています。対象者のアセスメントの結果、野菜を食べた方が良いこと(知識)がわかっていても食べるという行動に実行できない人たちが大勢います。そのことから、何とか楽に野菜を食べる行動が実践できるようにならないか、という観点から、以下の研究プロジェクトに取り組んでいます。当研究室で得られたエビデンスの概要をご紹介します。
1. 「食環境整備」が、日本人の野菜摂取量の向上、バランスのとれた食事、ひいては生活習慣病予防・改善につながるか?
野菜は一日に350g以上摂取することが目標に定められていますが、多くの成人が摂取量を満たしていない現状にあります。そこで本研究では、効果的な野菜の摂取方法と野菜に含まれるさまざまな機能性等について介入試験を通じて明らかにし、野菜摂取の重要性とその効果につながるエビデンスづくりを目指しています。
(1)昼食をバランスのとれたヘルシーメニューに変えることで(食環境整備)、生活習慣病予防・改善に貢献する。
食環境を整備(昼食をヘルシーメニューにする)することで、生活習慣病予防・改善のエビデンスを国際誌にて発表しました。昼食にヘルシーメニューを3か月間食べていただく事、その間、栄養教育を実施せず、昼食以外のお食事も普段のお食事をしていただきました。その結果、ヘルシーメニュー(野菜たっぷりメニュー)の昼食を2日に1回以上食べた人は、その他の食事は変えなくても(朝、夜はいつもの食事)血液中の総コレステロール、LDL-コレステロール等が下がり、生活習慣病予防・改善に有効であるエビデンスを得ることができました。バランスのとれた食事をとることが良いとわかっていても実行できない対象者が多い現在、食環境の整備は効果的であると証明できた研究です。働き盛りで食事の摂り方に不安を持っている皆様、学生で一人暮らし等で不安な食生活を送っている学生諸君、どうぞ、社食、学食等で野菜たっぷりのバランスのとれたヘルシーメニューを積極的に選んでください。詳しい内容を知りたい方は以下の論文を参照してください。
Inoue H, Sasaki R, Aiso I and Kuwano T.: Short-term intake of a Japanese-style
healthy lunch menu contributes to prevention and/or improvement in metabolic
syndrome among middle-aged men: a non-randomized controlled trial. Lipids
Health Dis. 13:57, (2014).
http://www.lipidworld.com/content/13/1/57
2. 効果的な栄養教育方法のエビデンスとは?
(1)生野菜・果物ジュースを毎日飲むと生活習慣病予防・改善に貢献するか?
野菜や果物の摂取不足がわかっていても調理をするのが難しかったり、購入しずらかったり等、なかなか思うように野菜や果物を十分に摂取することは難しい現状です(国民健康・栄養調査の結果より)。また、現在は、野菜・果物ジュースは入手しやすい食環境になってきており、多くの皆さんが簡単に取り入れることができる食環境になっています。しかしながら、野菜や果物ジュースは野菜や果物を摂取しているのと同じ効能があるのか?野菜や果物を食べないよりは野菜・果物ジュースを飲んでいた方が少しは「まし」とは思っていませんか?・・・しかしながら、エビデンスが得られていない状況でした。
そこで、当研究室では、同じエネルギーの市販の野菜・果物ジュースと当研究室で調整した生野菜・果物ジュースを一定期間、対象者の皆様に毎日摂取してもらい、生活習慣病予防・改善に貢献するかを明らかにしました。その結果、当研究室で調整した生野菜・果物ジュースは、血液中の
総コレステロール、LDL-コレステロール等が下がり、生活習慣病の予防・改善に有効である可能性を明らかにしました。 一方、市販の野菜・果物ジュースは、血液性状に影響は及ぼしませんでしたが、市販野菜・果物ジュース中のビタミン類は対象者の摂取量向上に貢献する結果となりました。詳しい内容を知りたい方は以下の論文を参照してください。
Aiso I, Inoue H*, Seiyama Y and Kuwano T.: Compared with the intake of commercial vegetable juice, the intake of fresh fruit and komatsuna (Brassica rapa L. var. perviridis) juice mixture reduces serum cholesterol in middle-aged men: a randomized controlled pilot study. Lipids Health Dis.13:102, (2014). * Equal contributors
http://www.lipidworld.com/content/13/1/102
(2)食嗜好と味覚感受性に関連があるか?−オーダーメード栄養教育への展開−
食嗜好や食行動を決定づける要因のひとつに個人の味覚感受性が関与していることが考えられています。私たちはこれまでに苦味の味覚受容体遺伝子であるTAS2R38という遺伝子の多型に着目し、食嗜好や食物摂取状況について調査をしてきました。その結果、苦味を感じにくいヒトは、苦味を強く感じるヒトに比較し、身長が高いことやエネルギー摂取量が多いことが明らかになりました。
現在、苦味の感受性だけでなく、塩味の感受性についても検討を行い、食物摂取状況調査との関連について詳細に検討を行っています。より深く味覚と食嗜好との関連について究明し、最終的に個人に対応したオーダーメード栄養教育につなげることを最終目標として研究に取り組んでいます。詳しい内容を知りたい方は以下の論文を参照してください。
Inoue H, Kobayashi-YamakawaK, Suzuki Y, Nakano T, Hayashi H and Kuwano
T. A case study on the association of variation of bitter-taste receptor
gene TAS2R38 with the height, weight and energy intake in Japanese female
college students. J Nutr Sci Vitaminol, 59, (2013).
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jnsv/59/1/59_16/_article
(3)良く噛むことで肥満予防に効果があるか?(チューイングの抗肥満作用の検証とメカニズムの解明)
「咀嚼」は、食欲を抑制し、脂肪分解促進やエネルギー消費亢進作用などが明らかになっています。当研究室では、ヒト介入試験からチューイングの抗肥満作用の検証とメカニズムの解明を目指し、「咀嚼」の有用性からメタボリックシンドローム等への栄養教育の指導要因としてのエビデンスづくりに貢献する研究成果を目指しています。
そこで、当研究室では、肥満または肥満傾向にある青年期女性を対象に咀嚼の介入試験(食前ガムチューイング)を9週間実施し、腹部脂肪の蓄積の変化を検討しました。食前ガムチューイングの累積時間の多いグループでは、ベースラインに比較し、9週間後に体重、BMI、体脂肪率、腹囲、MRIによる皮下脂肪が有意に減少しました。しかしながら、MRIによる内臓脂肪と食事からのエネルギー摂取量は、介入前後で有意な差は認められませんでした。本研究成果は、咀嚼が抗肥満効果に対して有効である可能性を示すものであり、ヒトに対して介入を行った貴重な研究成果であると思います。
Inoue H and Kuwano T. Effect of ongoing Gum Chewing before Food Intake
in Obese/Overweight Young Adult Japanese Women: A Before-After Trial. J.
Masticat. & Health Soc. 26 (2), 62-69, (2016)
(4)子どもの食生活と健康状態、行動特性の評価とその保護者に対する健康・栄養教育方法の検討
子どもの尿を分析することで、子どもの栄養状態や健康状態を客観的に評価し、将来の生活習慣病予防のためのエビデンスを構築することを目指しています。また、子どもの行動特性と食生活との関連についても併せて研究を進めています。更に、子どもの保護者に対する健康・栄養教育方法の検討も併せて行っています。
(5)不登校児童生徒の食・生活習慣と身体・精神状況および環境要因の実態調査
現在の日本において、児童生徒の不登校は大きな社会問題のひとつとなっています。文部科学省の調査によると、2019年度に「不登校」を理由に30日以上欠席した小中学生は約18万1千人、児童・生徒全体に占める割合は約1.9%と過去最高となりました。学校現場においては、家庭への働きかけ、スクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカーの活用など、不登校に関してさまざまな取り組みが行われていますが、不登校児童生徒は増加の状況です。しかしながら、不登校の児童生徒を支援するために必要な実態調査の報告はないのが現状です。
そこで、当研究室では、不登校の児童生徒に対する有効な支援方法を検討することを目的として、日本における不登校の児童生徒とその保護者における食事調査を含めた食・生活習慣と身体・精神状況および環境要因の実態調査を実施しています。
(6)児童と保護者を対象とした朝食指導介入による教育効果の検討
静岡県の小学校5年生の調査(平成28年度)によると、バランスのとれた朝食摂取は58%と少なく、朝食内容の改善が重要な課題です。そのため、学校現場における効果的な朝食指導方法の構築が必要です。
そこで、当研究室では静岡県の栄養教諭の先生方との共同研究で、小学校5年生の児童と保護者(1,000組)を対象に実態調査を行い、その後、朝食指導介入を実施し、教育効果を評価・検証する研究に取り組んでいます。