栄養学は「ヒトはなぜ食事をするのか」という素朴な疑問からスタートしました。今では当たり前となりましたが、ヒトが食事をする理由の一つは、体内に取り入れた栄養素を燃焼させ、その時に発生するエネルギーを利用して生活しているからです。筋肉は身体を動かしたり、姿勢を維持したりするのに重要な役割を果たしていますが、収縮時にエネルギーを多量に消費するため、古くから栄養学の研究対象となってきました。
最近、筋肉が改めて注目されています。その理由は、運動習慣がメタボリックシンドロームをはじめとする多くの疾病の発症を予防すること、反対に筋肉機能の衰えが要介護や要支援の要因になり健康寿命を短くすることが明らかにされたからです。運動が健康維持に貢献する理由ついて、世界中で数多くの研究がされ、これまでの概念を覆すような発見がされています。例えば、筋肉が“マイオカイン”と呼ばれる物質を分泌して別の臓器の機能を調節することや、筋肉が“うつ”の原因物質を分解してストレス性うつの抑制に貢献することなどです。
私たちの研究グループは、運動や不活動(寝たきりなど)が筋肉の性質を変化させる仕組みを明らかにしようとしています。これまでに、遺伝子の発現を調節する2つの因子が筋肉の性質を調節していることを、独自に開発した「遺伝子組み換えマウス」を用いて明らかにしてきました。最近では、筋肉と脂質の関係や、筋肉と動脈硬化予防に関して新しい発見をしました。これからも筋肉の性質について詳細に検討し、運動がどのように健康を守るのかを知り、ヒトの健康維持に役立つ新しい方策を提案できるような研究を進めています。
“脂質”は生体内において、エネルギー源、生体膜の構成、情報伝達など多彩な役割を担っています。生体膜の主要な構成成分であるリン脂質は、分子内に複数の脂肪酸を有しています。脂肪酸には、パルミチン酸、アラキドン酸、ドコサヘキサエン酸など多様な分子種が存在するため、生体内には1,000種類以上のリン脂質分子種が存在すると言われていますが、なぜそれほどの多くの分子が必要なのか、それら分子がどんな役割を担っているかなどはほとんどわかっていません。
筋肉は、瞬発力がある速筋と、持久力がある遅筋に分類されます。私たちは、速筋および遅筋を構成するリン脂質分子種の違い、その違いが生じるメカニズム、そしてそれら分子の役割について研究しています。これまでに、速筋と遅筋ではリン脂質の“質”が異なることや、この変化を制御する酵素を発見しました。この酵素の機能を低下させると運動能力に変化が生じることから、脂質の“質”は筋肉の機能に重要な役割を果たしているものと考えられます。
従来の栄養学では、“摂取する脂質の量や質”と生体機能や疾病発症との関係性が重要視され、“生体を構成する脂質の質”と生体機能の関係性まで踏み込んだ解析はされてきませんでした。私たちは、栄養学における脂質の新たな意義を見出すために、脂質の“質”と筋肉機能の関係性を解明しようと、様々な実験手法を用いながら引き続き研究をおこなっています。
持久的な運動を継続すると、心筋梗塞などの動脈硬化性疾患の発症を抑制しますが、なぜでしょうか。これには、血液中の悪玉コレステロール(LDLコレステロール)濃度の低下と、善玉コレステロール(HDLコレステロール)濃度の増加が関与すると言われてきましたが、私たちは、持久的な運動による筋肉の性質の変化も動脈硬化の予防に貢献していることを発見しました。
持久的な運動を継続すると、筋肉は遅筋としての性質が色濃くなります。そこで、動脈硬化を起こすモデルマウスを準備し、このマウスの筋肉を人工的に遅筋化しました。一定期間飼育後、動脈効果が発生しやすい心臓付近の大動脈を調べたところ、人工的な遅筋化により動脈硬化巣の面積が約40%減少しました。人工的な遅筋化は、血液中の悪玉コレステロールと善玉コレステロール値にを変化させなかったことから、これまでの概念とは異なるメカニズムで運動が動脈硬化を抑制することが示唆されました。現在、筋肉の性質変化が動脈硬化を抑制する理由を追求しています。