論文掲載までの舞台裏
−ぬっきー Effectがもたらした Casual Discovery −

助教(転出) 豊岡 達士 (Assist. Prof. Tatsushi Toyooka)

1.はじめに

つい先日(2009年2月19日)、私たちの研究が運良くある雑誌に掲載される運びとなりました。多くの実験データを一つの論文としてまとめあげることは、実際に実験すること以上に、多大なエネルギーを使う作業になります。それだけに自分達の研究内容が雑誌に掲載されるということは、研究に携わっている者としての醍醐味であり、さらに研究をしよう!という研究意欲の糧になるのではないだろうかと思います。これまでの掲載論文についても、実験に関する苦労話やハプニング、はてはトラブルまで様々な思い出がありますが、今回、掲載が決定した論文は、いろんな意味で私の中では特に思い出深いものとなりそうですので、その思い出を論文の内容とあわせて、ここに紹介したいと思います。

2.論文内容

ヒストンのアセチル化
図1.ヒストンのアセチル化

論文タイトルは“Histone deacetylase inhibitor, sodium butyrate enhances the cell-killing effect of PUVA by attenuating nucleotide excision repair”です。小難しそうなタイトルですが、平たく一言で言えば、“すごく効果的に(がん)細胞を殺傷する方法を見つけた! そしてその殺傷メカニズムも部分的に明らかにしたよ!!”というようなノリの論文です。

ここで中身について簡単に触れたいと思います。まずタイトルにあるsodium butyrate (酪酸ナトリウム)とは、私たちの体(主に腸管内)の中にもある物質であり、近年この物質がもつ“ヒストン脱アセチル化酵素阻害剤”としての働きに抗がん効果があることが明らかにされ、世界中から熱い視線が注がれています。

次に“ヒストン脱アセチル化酵素阻害剤”について説明したいと思います。私たちのDNAは“ヒストン”と呼ばれるタンパク質に巻き付いて複合体を形成し細胞核内に存在しています。このヒストンとDNAの複合体は“クロマチン”と呼ばれ、その高次構造はヒストンのアセチル化具合によって制御されています。図1に示すようにヒストンがアセチル化していないときクロマチンは“キュッ”とコンパクトな構造をしていますが、アセチル化されると緩んだ構造になります (図中Acがアセチル化を示します)。詳細については割愛しますが、ヒストン脱アセチル化酵素阻害剤は、この緩んだ構造を持続させ、細胞にApoptosis (細胞自殺死)を誘導すると考えられています。さらに最近では、ヒストン脱アセチル化酵素阻害剤と抗癌剤又は放射線を組み合わせることで、より効果的にがん細胞を殺傷しようという研究が精力的に行われています。

そのような中、私たちはPUVA (プーバ)と呼ばれるある種の皮膚疾患(マイケルジャクソンも煩っているという尋常性白班等)治療のための光化学的療法とヒストン脱アセチル化酵素阻害剤を組み合わせて、がん細胞に作用してみると、抗癌剤や放射線等の組み合わせよりも遥かに効果的にがん細胞を殺傷することができることを発見したわけです1)

3.はじまりは学生の実験ミス

実験ミスデータ
図2.実験ミスデータ(酪酸ナトリウムはPの細胞毒性を軽減する)

研究のそもそもの始まりは、ある学生の単純な実験ミスに端を発するものでした。当時学生であった“ぬっきー(通称)”は、ある環境化学物質“P”の細胞毒性について研究をしていました。その時、全く別の目的で酪酸ナトリウムを化学物質Pと共に細胞に作用させていました。研究室内の研究報告会で、ぬっきーが報告したことは、『酪酸ナトリウムを細胞に2時間程度、前作用させておくと、Pの毒性がなくなりました!』というものでした。

図2はそのときの実験データ(一部編集)を示しています。確かにPの示す細胞毒性が酪酸ナトリウムの前作用によって劇的に軽減されているのが分かります。しかも何度やっても同じ結果が得られたと言うわけです。しかし、よくよく結果を見てみますと、酪酸ナトリウムの毒性軽減効果に濃度依存性が全く感じられません。当時は上述したように酪酸ナトリウムにはクロマチン構造を緩ませる作用がありますので、『Pによって誘導されたDNA損傷部位にDNA修復因子がアクセスしやすくなり、効率的に損傷を直した可能性もありだな。』と考えていました。そこで、ぬっきーには、『おもしろい結果だね!でも、もうちょっと酪酸ナトリウムを薄い濃度から作用して、濃度依存的に生存率が回復するようなデータを得ようよ。』と言う指示をしました。そして次の報告会におけるぬっきーの報告は、『すっごく薄い濃度の酪酸ナトリウムでもPの毒性を完全に防ぐことができました!!』というものでした。

しかし、『1000倍も濃度を薄くしても本当にそんなことがありえるのか??』という疑問が当然のように沸き、自分で彼のデータの再現性を確かめてみました。そうすると、毒性が軽減されるどころか、むしろ増強したではないか!ぬっきーのデータとは真逆の結果です。私の実験ミスということもあり得る話なので、今度は酪酸ナトリウムを作用させる時間を数点変化させて作用してみました。そうすると、酪酸ナトリウムの作用時間が長いほどPの毒性は増強されたではありませんか!! Pの毒性が軽減されるというような現象は全くもって観察されませんでした。

私がぬっきーの実験の再現性がとれなかった間、この実験結果は“ぬっきー”にしか出せない結果ということで“ぬっきーEffect”と呼ばれるようになりました。『??なぜ??』と考えている内に、『まさか…ぬっきーはPを細胞に作用させる時間を同時にしていないのではないだろうか?』という疑念がわいてきました。これはどういうことかと言うと、図3に示すように、酪酸ナトリウムを前作用(2時間)させるときに、既にPの濃縮溶液を作成し、Pのみを作用する細胞にはこの時点で作用する。そして、2時間の作用後にPを抜き、今度は、2時間前に作成したPの濃縮溶液を用いて、酪酸ナトリウムを前作用した細胞にPを同じく2時間作用するというものです。

実験手順
図3.実験手順

この方法は根本的に間違っています。まず、Pのみを作用した細胞と、酪酸ナトリウムを作用してからPを作用した細胞で、生存率を測定する際に2時間の誤差が出てきます。さらに最も致命的であったことは、化学物質Pがキノン体であったため、溶液中で不安定であり、時間が経つと活性が落ちてしまうということでした。つまり、ぬっきーは酪酸ナトリウムを前作用した細胞に、活性が落ちてしまったPを作用していたため毒性が軽減されたように見えたということです。

上記のことはまさにビンゴであり、ぬっきーが大目玉を食らったことは言うまでもありません。それから暫くの間、ぬっきーが出してきた実験データは“それはぬっきーEffectではないだろうね?”と言うのが決まり文句になるほどでした。しかしその後、ぬっきーはこのミスを取り戻して余りあるほどの実験をしてくれたので、ぬっきーの仕事を彼の在学中に論文としてまとめることが出来ました2)

余談になりますが、彼の論文を通す際に、アメリカから化学物質を輸入したわけですが、その時に、本来ice box中にあるはずのドライアイスが全て解けており、ある運送会社と大バトルになったという強烈な思い出があります。話は脇にそれましたが、この実験ミスを別の視点からみると、酪酸ナトリウムは細胞殺傷力を増大することができるということです。そして、そのとき私がたまたまやっていた実験である光治療PUVAと組み合わせてみようという流れになったわけです。このようないくつかの偶然がなければ、今回の研究は始まらなかったに違いありません。

4.研究の方向性を決定づけた実験

今回の雑誌の掲載にあたり、この実験がなかったら投稿することすら出来なかっただろうという実験があります。図4にその実験の結果をのせたいと思います。詳細を書くと、ただでさえ長くなってしまったコラムがさらに長くなるので割愛させて頂きますが、一言でいえば、“酪酸ナトリウムは細胞に本来備わっているDNA修復経路のある部分を働きにくくする”ということを示す結果の一部です。この結果があったことによって研究に深みが出たと考えています。

研究の方向性を決定づけたデータ
図4.研究の方向性を決定づけたデータ

これとは別に、個人的にお気に入りの結果というものもありますので、それをついでに図5にのせたいと思います。この結果は論文中ではSupplementary Figure (補助データ)としてしか扱われていませんが、どこがお気に入りかと言うと、“すごくきれいにバンドが減少していく様”です。今は、当研究室もCCDカメラでwestern blotting (実験手法の一つです)を撮影できるようになりましたが、当時はまだ撮影装置がなく、暗室で写真を現像していました。薄暗い暗室のなかでぼんやりと浮き上がってくるバンドを凝視しながら、『おぉー!キターー!!(結果が予想どおり!の意)』とか言って喜んでいました。

お気に入りの結果
図5.お気に入りの結果

5.論文投稿から掲載決定まで

図6は論文を投稿してから掲載決定までの記録を示していますが、2008年7月3日に投稿し、2回のrevise(訂正)を経て2009年2月19日に掲載が決定するまで、実に約8ヶ月を要していることがわかります。また投稿以前に、論文のドラフトを作成し、伊吹先生に初めて見て頂いた日が、2008年5月2日であり、そこから、二人で推敲に推敲を重ね、これまた18回もの原稿のやり取りをしていたことが、書類を整理していたら分かりました (通常の4倍程度のやり取りです)。

そして、いざ投稿! 今回の雑誌はどうやら関門が3個あるようで、まずはEditorial OfficeによるInitial Quality Check、そしてEditorがReviewerに論文を審査させるかどうかの判定を経て、ようやくReviewerによる審査が始まるというものです。どこの段階で振り落とされるか?と結構ドキドキしながら、投稿雑誌のホームページを覗いていました。運良くReviewerまで進み、1回目の審査結果が戻ってきました。印象としては、『悪くはないかな?』という感じで、『これは行けるかもしれない!』と思いました。そこから追実験および原稿の訂正をかなり必死にやり、最終的にはMain Figureが6個、Supplementary Figureが11個という、なかなかの大作に仕上がりました。その後、なんだかんだで2回目のreviseを行い、最終審査結果が今日くるか?明日くるか?とやきもきしながら待っていた、2月19日の23時過ぎ、伊吹先生から電話があり、『論文アクセプトされたよ!!!』との一報に喜びのボルテージが一気にMaxに、そしてえも言えぬ安堵感を覚えました。

論文掲載までの記録
図6.論文掲載までの記録

6.おわりに

私のコラムはこれで終わりですが、今回紹介した研究のように、あるミスがきっかけで思わぬ方向に研究が進展していくことも、また研究の醍醐味ではないかと思います。今後も、物事を注意して観察し、さらによい研究を目指していきたいと思います。

参考

  1. Toyooka T and Ibuki Y. Histone deacetylase inhibitor, sodium butyrate enhances the cell-killing effect of PUVA by attenuating nucleotide excision repair. Cancer Research (in press)
  2. Toyooka T, Ohnuki G and Ibuki Y. Solar-simulated light-exposed benzo[a]pyrene induces phosphorylation of histone H2AX. Mutation Research 650, 132-139, 2008

(以上)

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