ウー・ガン・リーを求めて ―中国浙江省への旅―
准教授 (現教授)谷 晃 (Assoc.Prof. Akira TANI)ウー・ガン・リーとは
ウー・ガン・リーとは,なんの名前でしょう?中国の人気アイドルの名前にありそうですが,実はある植物の中国名です.今回,このウー・ガン・リーを求めて,中国浙江省の山岳地帯へ行ってきました.
ウー・ガン・リーは日本にも自生しており,和名はウバメガシです.ウバメガシは備長炭の原料として昔から利用されてきました.炭産業の斜陽と原料の不足から国内では炭をまかなえなくなり,中国のウー・ガン・リーから作った備長炭を日本が輸入することになりました.その結果,中国でも乱伐により自生域が著しく減少し,ついに中国政府はウー・ガン・リーの伐採や炭の輸出を禁止しました.
このウバメガシに,特殊な機能があることを見つけたのは,今から5年ほど前です.植物の中には,防御物質としてテルペン類と呼ばれる物質を合成し,体内に蓄えるものが多くあります.テルペン類は植物の香りの主成分で,もっとも身近なものでは,アロマオイルをとるハーブ植物ですが,マツやスギも体内にテルペン類を蓄えます.植物はテルペン類を体内に蓄えることで,害虫を撃退します.しかし,日本のウバメガシはテルペンを合成するのですが,体内に貯めるための組織を持ちません.作った後直ちに放出します.このような植物は,ヨーロッパでは数種報告例がありますが,アジアでは初めて見つかりました.ウバメガシがなぜこのような特性を示すのか理由は定かでありません.貯めることよりも,放出することに何らかの意味があると思われますが,その解明は本研究室の重要研究課題のひとつです.
いざ,中国へ
調べてみると,中国のウバメガシ,つまりウー・ガン・リーはこのテルペン類をつくる機能がないと報告されています.本当だろうか?と思いました.同じ種でありながら,テルペンの生成系に違いがあるのは普通では考えられませんし,この論文にはデータが示されておらず信憑性にかける部分がありました.そこで,自分で調べてみようと思い,中国浙江大学生命科学院のJie Chang 教授の協力のもと,調査を行うことになったのです.
ウー・ガン・リーに出会う旅は,10月上旬の5日間となりました.実は7月に初めて浙江大学を訪ねたとき,Chang 教授から西に200kmほど行った湖水地帯の山にウー・ガン・リーが自生しているとの植物事典の記述を見せられ,最終日に車で飛ばしました.しかし,見つからず,現地の森林公園で紹介された専門家も,この地帯にはないとの話でした.今回は,本測定ということで,事前にChang 教授に関連研究者への照会など下調べをしてもらい挑みました.メールのやり取りでは,ウー・ガン・リーは浙江省の中心地,杭州市から南へ200kmの地点にあると連絡をもらっていました.
詳しくは,浙江大学に着いてからということで,研究協力者の京都大学非常勤研究員の奥村氏,私の研究室の卒業生で現在上海在住の河和田氏の3名で訪問しました.中国語が話せる河和田氏には通訳だけでなく,レンタカーの運転をお願いしました.中国では国際免許が通用しないので,彼の協力は本当に助かりました.
今回,浙江大学は休暇明けで教員も学生も忙しいため,同行できないということです.代わりに,紹興工科大学の黄承才教授が同行してくれることになりました.黄教授はChang教授の教え子に当たるらしく,Chang教授から電話で突然命令,いや依頼されて来てくれました.小さな手提げ袋1つで私たちを待っていてくれました.その日から週末まで3日間を突然お付き合いいただくのは,本当に申し訳ない気持ちでした.しかし,Chang教授は,現地の方言や奥地での危険度の高い測定を考えると,折衝役に中国人の研究者がつくほうが安心だと判断されたようです.ちなみに,紹興工科大学のある紹興市は杭州市から車で1時間弱のところにあり,あの紹興酒の産地として,また魯迅生誕地として有名な場所です.
観測地“南尖岩”へ
杭州市から紹興市を経由し,目的地である南尖岩(景勝地名)までは車で7時間かかりました.夜7時頃,標高1100m地点にある山小屋に到着しました.山小屋といっても立派な造りで,部屋はホテルのそれと遜色ありません.ベランダから見える朝日が素晴らしいと,ホテルの副主任が教えてくれましたが,残念ながら2日間の測定中,深い霧のため見ることができませんでした.詳しく聞いてみると,この地域は浙江省が観光地として開発を進めている地域らしく,山小屋のリーフレットには“国際撮影創作基地”と記されています.廊下には,この地で撮影された美しい景色の写真が100枚以上並べられていました.
日本人はほとんど来ないらしいですが,中国人観光客は多く,初日の金曜日は満室でした.河和田氏が言うには,中国は今旅行ブームだそうです.今後杭州を拠点とした日本人向け観光ツアーにも,この地が組み込まれるかもしれません.
ウー・ガン・リーとの対面
翌朝,山小屋の副主任に案内され,ついにウー・ガン・リーと対面することができました.1周1.5時間かかる景勝地見学歩道をわずか5分ほど歩いて,“このあたりから下に生えていますよ”,と断崖絶壁の岩山を示されました.驚いたことにウー・ガン・リーは,ロッククライマーなら垂涎の岩場にへばり付くように生育していました.少しなだらかな場所になると別の植物が繁茂し,ウー・ガン・リーは見当たりません.日本のウバメガシも海岸沿いの岩山に生育することが多いのですが,山や丘全体に自生することも普通に見られます.測定の期間中に地元の人と話ができ,昔はもっとなだらかな場所にもあったが,皆伐採されてしまった,ということでした.そのため,人が容易に近づけないこのような断崖にのみ生き残っているのかもしれません.
ウー・ガン・リーとウバメガシの違い
両者の違いで明らかなのは,生育地の標高と海からの距離です.ウー・ガン・リーの自生地は海抜1100〜1700mと事典に示されています.この南尖岩も標高1100m前後です.日本のウバメガシが海抜ゼロから300m程度の岩山に生育するのとは明らかに異なります.また,ウー・ガン・リーは海岸から100km以上も内陸に生育するのに対して,ウバメガシは主に海岸沿いに育ちます.自生地の気温にも差があるようです.測定期間中の日中の気温(10月上旬)も15℃程度と日本の自生地より低く,ウー・ガン・リーは低温に対してより耐性があるようです.日本のウバメガシは寒さに弱いため,北限が神奈川県と言われています.湿度環境も違うようです.山岳地帯だけに霧がかかる日が200日以上あると山小屋のパンフレットに書かれているのに対して,日本のウバメガシは日当たりのよい場所を好みます.葉もウー・ガン・リーとウバメガシでは,少しだけ形が違うようですが,日本のウバメガシにも地域変異が見られるので,このあたりは精査せねばなりません.
いずれにせよ,このような生育環境の違いが,ウバメガシとウー・ガン・リーのテルペン類放出特性の違いと関係があるのかもしれません.今回,採取してきたサンプルの分析によれば,やはりウー・ガン・リーはテルペン類を放出していませんでした.
おわりに
今回,中国を2度訪れましたが,中国訪問は私にとって初めての経験で,それも奥地での測定と,思い出に残る印象深い旅となりました.目的のウー・ガン・リーに対面でき,測定も順調に終了しました.しかし,一方で,こんな奥地のウー・ガン・リーまでひどく伐採され,あんな断崖にしか残っていない現状を見て,胸が苦しくなりました.日本への炭の輸出が少なからず関係しているものと推察されます.ウバメガシのことを親切に教えてくれた現地のおじいさんが,“大木のある自生地を知っているが,日本人に教えると伐ってしまう”,といった言葉は胸に突き刺さりました.
ウー・ガン・リーとウバメガシの違いを解明することは,この植物の大陸での進化と,日本列島内での進化の違いを類推する手掛かりになるだけでなく,中国,日本両国にとって重要な樹木であるウバメガシを保護し,造林する手助けになると思っています.今回の旅で,ウバメガシにますます興味を持ちました.
〔本研究の一部は,新技術開発財団植物研究助成により行われた.〕
(以上)
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