世界の水事情から

教授 国包 章一 (Prof. Shoichi Kunikane)
環境政策研究室

長年のうちにあちこち出歩いていると、いろんなことを見聞きしたり経験したりします。特に海外に行くと、日本では考えられないようなことに出くわすことがあります。その中で、水にまつわるいくつかの話題についてご紹介します。

浄水処理なしの水道水

ドイツに留学していた頃、と言ってももう25年も前のことですが、ミュンヘン水道を一人で訪ねたときのことです。湧水や地下水の取水施設を見せてもらったのですが、浄水施設と呼べるようなものにはついにお目にかかれませんでした。案内者の説明では、普段は消毒も全くしておらず、年にたった2週間ほど、水が悪くなったときにだけ塩素を入れているということでした。耳を疑って、思わず聞き直してしまいました。ミュンヘンでは、文字どおり清浄で豊富なオーストリアアルプスの雪融け水を、何十kmも離れた所から延々と導水して市民に供給しています。ドナウ川の支流イザール川が、市内をとうとうと流れているにもかかわらずです。あとで知ったのですが、このあたりの事情については「水道の文化−西欧と日本−」(鯖田豊之著、新潮選書、1983年)に詳しく記されています。うらやましいと言ってしまえばそれまでです。機械的な浄水処理に頼らないドイツ流の考え方に接して、当初の計画がいかに大事かを思い知らされました。

3年ほど前に訪れたニュージーランドのクライストチャーチは、人口30万人ほどの同国では規模の大きい都市ですが、ここでも、豊富な地下水が消毒もなしにそのまま水道水として供給されています。ちなみに、ドイツもニュージーランドも水道の消毒は義務ではありません。

歴史的都市ダマスカス

水が豊富なことで驚いたのは、シリアの首都ダマスカスです。レバノンとの国境に位置する2千m級の山々からの清冽な雪融け水が、石灰岩地帯を通って、フィジェーのオアシスにこんこんと湧き出しています。水量は年によって変動しますが、春に最大で 17 m3/秒 くらい、秋に最小で 3 m3/秒 くらいです。この水が塩素消毒だけで供給されています。ダマスカスは何千年も途絶えることなく栄えてきた交易都市で、その発展を支えてきたのがこの湧水です。山肌にローマ時代の水道跡が今も残されています。

ダマスカスへは、十数年前に国際協力事業団(現独立行政法人国際協力機構、JICA)の仕事で何回か通いました。業務はいわゆる開発調査で、以前にソ連やフランスの援助によって策定された、同市の水道基本計画の見直しです。人口は200万人くらいでしたが、その増加に対処するため新たな水源開発が必要となっていました。オプションとして上げられていたのが、表流水の導水と地下水の開発です。前者は、候補の水源が遠いことや、急速ろ過など、未経験の新たな技術の導入が必要との理由から見送られました。後者が先方の期待する本命で、先にフランスの援助で途中までしか行えなかったフィジェーの鍾乳洞のダイバーによる調査を、さらにその先まで行いたいということです。しかし、最終的にはこの案も見送ることになり、それに代えて管路更新などにより、高い漏水率を下げることによって対処することになりました。

開発調査を実施するに当たっての調印式は、内壁にアラビア風の木彫を施したダマスカス上下水道公社の貴賓室で行われました。かつて世界銀行総裁を務めたロバート・マクナマラが借款の調印に臨んだという、その同じ席に筆者が座らせてもらって署名しました。

ダマスカスでは、この世界銀行による1億ドルの援助で造られた湧水の取水施設(写真‐1)や、山の斜面をくり抜いて造った、トンネルの配水池を見せてもらいました。配水池の正面の壁に、命の水を象徴する水瓶を小脇に抱えた女性像が、ダマスカス市街を背景に描かれていました。坑口からこの配水池までの行き帰り、電気自動車に揺られながら、このような立派な施設まであるのに、もうそれほど援助は必要ないのではないかと考えたりしました。

写真‐1 ダマスカスの湧水取水施設の内部
写真‐1 ダマスカスの湧水取水施設の内部

その一方で、盗水と盗電を初めて見たのもこのダマスカスです。当時ダマスカスでは、不法居住、つまり人が住んではいけないことになっている郊外の山裾の空き地に、地方から出てきたのか大勢の人が住み着いており、しかもその人たちが近くを通る水道管に穴を空けて、数え切れないくらいの本数のパイプを繋いでポンプで水を抜き取っていました。中には、そのうちのどれか繋ぎ目の甘い所から漏水していて、そのためにできている水溜まりからも水を汲み上げていました。おまけに、驚いたことに、ポンプの動力を得るため、空中の電線とポンプを勝手に繋いでしまっているというありさまでした。これとは別に、水を抜き取るために、水道施設内の縦管に分岐用のサドルが巻き付けられているのも目にしました。

それでも、筆者が過去に関わりを持った中で、援助を受ける側としてのダマスカス上下水道公社は優等生でした。関係者の意見も交えての話ですが、ある程度までのことであれば自分たちの力で十分にやれるし、安心して任せることができました。アジア諸国でこのような国はあまり見当たりません。宗教か、はたまた風土の違いによるものでしょうか。

逆浸透による下水の高度処理

水が豊かな国もあれば、そうでない国もあります。例えば、裕福な産油国であるクウェートでは、40万m3/日規模の下水処理場で、処理水を限外ろ過(UF)と逆浸透(RO)(写真−2)でそのまま飲めるくらいにまで処理してから、その水を畑地潅漑に用いています。水道水は海水を淡水化したものです。シンガポールのNEWaterも、大々的に売り出しているので有名です。このプロジェクトに深く関わっている地元の大学教授に聞いた話では、利用者への心理的な面での効果を期待して、下水のROなどによる高度処理水を水源の水にほんの少しだけ加えているとのことです。水資源が逼迫しているシンガポールでは無理もありません。しかし、シンガポールでは、国民一人当たりのエネルギー消費量が多いことも事実です。マレーシアやインドネシアからの導水に安心して頼れるようになる日は、いつのことでしょうか。

写真‐2 クウェートの下水高度処理施設
写真‐2 クウェートの下水高度処理施設

ジャカルタ水道

ドイツ留学のあと、帰国してちょうど4年経った頃から再び2年半近く、今度はインドネシアの政府機関にJICA長期専門家として勤務しました。20年ほど前のことです。そのときのことも少し紹介しておきます。

まずは、ジャカルタの主要な水道水源となっている導水路のことです。水源は、湛水量が約30億m3 もの日本ではとうてい考えられない、ジャワ島でも破格の規模のダム湖です。このダムのある河川を下流で堰き止めて、そこから同島の北側を、北流する途中の川に一旦水を落としたりしながら、西方のジャカルタまで開水路で導水しています。この導水路の水は、土質のせいで泥水と言ってもよいくらいにひどく濁っていますが、水量は豊富で、農業用水や水道水として使われています。問題は、その運河と周辺住民の日常生活との深い関わりです。三尺流れれば水清しではありませんが、導水路であることなどはお構いなしに、水浴び、洗濯、食器洗いなど、ありとあらゆることに使われています。泥水でよく見えないのですが、便所代わりにも使われているようです。物の本によれば、ジャワ島などでは流れに尻を浸して用を足す習慣があるとされています。ごみも捨てられています。そのため、最末端でこの水を原水として取り入れている浄水場では、浄水処理や水質管理に大いに支障をきたしていました。

また、あるとき、この運河とは別の小河川を水源としている浄水場で、原水ポンプの能力が異常に低下したと、政府高官から日本側にクレームがありました。この浄水場は日本の有償資金協力により整備されたもので、計画時には浄水場周辺に人家などなかったのですが、その後開発が進んで、今や住宅地にすっかり取り囲まれてしまっていました。クレームを受けた当事者が、そんなはずはないと急遽調べたところ、何と原水ポンプにこれでもかというくらい沢山のごみが詰まっていることがわかり、関係者一同唖然としてしまいました。

砒素汚染問題を抱えるバングラデシュ

バングラデシュにも近年何度か訪れています。バングラデシュでは、インドや中国にも増して地下水の砒素汚染による健康被害が重大です。砒素中毒患者は推定38,000人にも上っています。しかし、以前に現地で会った砒素中毒患者には、健康被害の程度にもよりますが、想像していたほどの深刻さが感じられませんでした。貧困と栄養不良が、砒素中毒による健康被害に拍車を掛けているとされています。筆者の思い込みかも知れませんが、そもそも日常生活そのものに多くの不安があり、砒素中毒はあくまでもその中の一つに過ぎないように思われました。このような状況のもとで、日本のNGOがJICAの資金援助により、砒素汚染のない安全な飲料水の供給などによる住民の保健・衛生の向上に貢献しています(写真‐3)。バングラデシュの砒素汚染問題の解決にはまだ長い年月がかかりそうですし、筆者のバングラデシュとの関わりもまだ当分は続きそうです。

写真‐3 バングラデシュの農村地域における砒素汚染のない水の供給施設
写真‐3 バングラデシュの農村地域における砒素汚染のない水の供給施設

ヒマラヤの国ネパール

話は変わって次はネパールです。10年ほど前に、カトマンズ周辺の農村集落を二・三度訪れたことがあります。日本が出資して世界銀行と国連開発計画(UNDP)が実施したプロジェクトで、100ヶ所を超える村落水道が整備されました。訪問の目的は、その活用状況を調査することでした。ネパールはヒマラヤ登山やトレッキングで有名ですが、インドと同様にカースト制が守られており、住民は貧しいです。当時、平均寿命は55歳くらいで、乳児死亡率は高く、男尊女卑で、識字率は非常に低かったです。カトマンズ近郊とは言え、電気も水道もない集落に、動力を使わず自然流下で沢水を引いてきて公共水栓で供給していました。詳細は省きますが、地元住民の勤労奉仕やNGOの協力によるこのような水道施設の整備は、筆者にとって新しい発見でした。

それに引き替えて、芳しくないのは首都カトマンズの水道です。昨年ある会議で同席した現地に住む知り合いのオランダ人に、前にカトマンズでは2日に1時間くらいしか水が出ないと聞いたが、今はどうかと聞いたところ、それどころかもっとひどくて3日に1時間くらいだとのことでした。JICAなどによる援助も行われていますが、状況が改善されるのはまだだいぶ先のことになるのかも知れません。

カンボジアの浄水器

東南アジアではどうも明るい話題が少ないのですが、一つ興味深い話題を最後に提供しておきます。4年ほど前に、タイのバンコクからカンボジアのプノンペンに1泊旅行したことがあります。後にも先にも、同国に行ったのはこの1回だけです。この旅行の目的は、浄水器の製造工場などを見学することでした。工場と言っても、片田舎の10人ほどが働いている炭焼き場のような所で、製品の浄水器は、粘土と磨砕した籾殻を水で練って、850度位で焼き固めたものです。素焼きの植木鉢の底孔を無くして、やや扁平にしたようなものと思ってもらえれば結構です。仕上げに、内面に銀を塗布していました。日本の浄水器は水道があっての浄水器ですが、この浄水器は水道がない所で、川の水などを漉して飲める水にするためのものです。本体の値段が約5ドル、昔の醤油樽と同じような構造の専用の栓付ポリバケツを付けて、10ドル弱の値段で売られていました。煮沸するよりははるかに手軽で、目詰まりしたらブラシなどで汚れを落とすことにより、2年くらいは使えるということです。現地の人にとっては決して安くはありませんが、これぞ正しく適正技術です。

以上、取り留めのないことを書きましたが、とにかくここで書いたことは、すべて自分で見聞きしたり経験したりしたことです。仕事とは言え、ずっと日本にいてはできないような貴重な体験を、これまで多くさせてもらっています。若い人たちにも、ここでその一端を紹介したような諸外国の状況について、より高い関心を持っていただけるよう期待しています。

(以上)

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