持続可能なエビ養殖を目指して in ベトナム
助教 内藤 博敬 (Assist. Prof. Hirotaka Naitou)環境微生物学研究室
1.はじめに
ベトナムのエビ養殖に携わって、約10年の月日が流れました。当初は、海産物の飲食が原因でヒトに感染するノロウイルスやA型肝炎ウイルスの伝播経路や輸入感染について、東南アジアで養殖される海産物を対象として調査研究を行っていました。東南アジアにおける海産物養殖は、輸出産業として重要な意味を持つ反面、農地転用や塩害、マングローブ林伐採などの環境破壊が常に問題となっていました。環境破壊の原因の一つとして、養殖魚介類に起こる病気のため、単一養殖池での持続した生産が困難であることが挙げられます。実際の養殖現場の協力があって、東南アジア広域で頻繁に起こる甲殻類感染性ウイルスの海洋汚染を目の当たりにし、その予防と対策を目的に研究を続けています。
2.日本人にとってのエビ
天麩羅、エビチリ、海老フライ…..日本人は世界でも有数のエビを好む民族です。一人当たりおおよそ70尾のエビを一年間に食べており、その90%を輸入に頼っています。また、食品以外でも正月のお飾りや鏡餅に末広がりの縁起物としてあるいは豪華さの象徴として伊勢海老が使われたり、結婚式では夫婦仲の睦まじさを「偕老同穴の契り」などとドウケツエビに比喩したりもしていて、日本人にとってエビは古から親しみのある動物です。
エビを漢字で表す場合、「海老」と「蝦」があります。「海老」は伊勢海老のように海底を歩くエビを、「蝦」はクルマエビやサクラエビのように海中を泳ぐエビを指しています。英語で書く場合、海底を歩行するエビは「Lobster」、海遊するのエビは中大型なら「Prawn」小型だと「Shrimp」と表します(米語では海遊するエビは全て「Shrimp」です)。エビの種類は数多く、漢字と同じように歩行類と遊泳類だけの狭義分類だけでも31科2,344種います。また、エビには伊勢海老やザリガニのように、産卵時にお腹に卵を抱く「抱卵類」と、クルマエビのように海に放出する「根鰓類」に分かれます。エビ養殖では、産卵、孵化が人口的にやり易い根鰓類、飼育し易く成長の早い遊泳類が主役です。
日本人にとって食用の「蝦」と言ったら、まずは学名に日本の入っている「クルマエビ:Penaeus japonica」ではないでしょうか。国産のクルマエビとなると値段も張る高級食材ですよね。そこで、日本ではクルマエビに近い種類の養殖エビを沢山輸入しています。「バナメイ」や「ブラックタイガー」と呼ばれるエビがそうです。これらのエビは、全世界での漁穫・養殖高1位と2位です。次いでサクラエビ科の「アカアミ」、クルマエビ亜科の「サルエビ」、日本では甘エビとして人気の高い「ホッコクアカエビ」と続きます。
静岡の名産としてサクラエビ(学名Sergia lucens)があります。こちらは駿河湾近湾と台湾東方沖に生息が確認されていますが、漁獲対象は駿河湾だけです。また、富山湾のベッコウエビなども、日本産の希少な食用エビです。世界中でどんな種類のエビがどれほど獲られているのかを示すデータはありませんが、日本人に限らず、エビが世界で愛されている海産食品であることは間違いありません。
相模湾以南に生息
別名:ブラックタイガー
東京湾以南に生息
3.アジアのエビ養殖とウイルス研究
1970〜80年代、東南アジアのブラックタイガー養殖は台湾を中心に行われていました。ところが、1990年代のブラックタイガー輸出国の中に台湾の名前はありません。1988年に台湾のブラックタイガー養殖は崩壊してしまったのです。原因となったのは、カニやエビなどの甲殻類に感染するウイルスです。1980年代後半には、すでに台湾のブラックタイガー養殖は病気の危機に陥っていました。台湾は対策費を捻出しましたが、大物政治家と繋がる水産系教授の独占によって危機を脱することができなかったのです。
1990年代に入ると、東南アジアのブラックタイガー養殖はタイが主導権を握ります。大学での研究も盛んで、養殖技術やウイルスに関する研究が進められました。それでも、自然の理に反した成長主義、高密度養殖によって、徐々に衰退していきます。2000年代になると、ブラックタイガーの輸出トップにベトナムが躍り出ます。元々粗放型のブラックタイガー養殖を主としていたベトナムですが、1995年のドイモイ政策施行後、外国資本による集約型養殖が盛んに行なわれるようになったためです。ウイルスによる被害は毎年のように出ていましたが、2004年にベトナム全土で壊滅的な打撃を受けました。そして2008年秋から、再びウイルスの猛襲を受けています。
台湾のブラックタイガー養殖を崩壊させたのは、クルマエビ科のエビに感染するWSSV(White spot syndrome virus)です。その後各国でHPV(Hepatopancreatic parvovirus)、YHV(Yellow head virus)、MBV(Monodon baculo virus)などのウイルスが猛威を振るいました。ベトナムで2004年に発生したのはIHHNV(Infectious hypodermal & hepatopoietic necrosis)というウイルスで、元々アジアに存在するウイルスではありません。当時、東南アジアのエビ養殖は一大転機を迎えていて、タイをはじめ多くの国がブラックタイガー養殖からバナメイ養殖へとシフトを始め、ウイルス発生により放棄した池の再生にも力を入れ始めた頃でした。ベトナムではまだバナメイ養殖は許可されていませんでしたが、ウイルスはおかまいなく養殖ブラックタイガーを襲ってきました。バナメイは元々南米原産であり、2004年当時は親エビを南米から輸入していたそうです。その親エビがキャリアーとなってIHHNVを東南アジアに侵入したものと思いますが、今となっては確かめる術がありません。
バナメイはウイルス感染に強いエビと言われていますが、ブラックタイガーと同じクルマエビ科であり、これらのウイルスに感染することは確かめられています。また、この他にもTSV(Taura syndrome virus)、GAV(Gill-associated virus)、BVP(Tetrahedral baculovirosis)、IMNV(Infectious myonecrosis virus)などのウイルス感染症や、細菌感染症、寄生虫症が知られており、東南アジアのみならず欧米や豪州においても盛んに研究されています。フランスはマダガスカルにおいてブラックタイガーの品種改良を行っていますし、バナメイの親エビはハワイで無菌生産によって供給されるまでに至っています。韓国では、プロバイオティクスとしての餌の研究が盛んに行なわれています。台湾での爆発的WSSV感染は、日本のクルマエビ養殖にも影響が出ており、日本においても多くの研究者が検査や予防ワクチン開発を行ってきました。クルマエビ科に感染するウイルスの問題は、今や全世界の問題となっているのです。
4.ウイルスとの戦い
そもそも「ウイルス」って何なんでしょうか。微生物学で研究されていますが、生物なのか無生物なのかは未だに論争が繰り広げられています。ウイルスの存在が明らかになったのは1890年代のこと、露のイワノフスキーによって発見されました。1898年には、蘭のベイエリンクが詳細に再検討し、その存在を報告しました。その後、1935年に米のスタンリーがタバコモザイクウイルスの結晶化に成功します。また1930年代には電子顕微鏡が発明され、我々は初めてウイルスを目で見ることができるようになりました。その後の発明研究によって、現代のウイルス検査の主役はPCR(ポリメラーゼ連鎖反応)法を用いた遺伝子検査となりましたが、その話はまたの機会としましょう。
電子顕微鏡で見るウイルスは、細菌や細胞などのようなウエットで脆弱な見た目と異なり、非常に均整の取れた形をしています。それもそのはずで、ウイルスは呼吸も代謝もしておらず、遺伝子と規則正しく配置されたタンパク質からできているからです。見た目や結晶化できることから鉱物に近い物質のように思えるウイルスですが、遺伝子を持っており複製するという生物的特徴も持っています。ただ、自分自身で分裂増殖するのではなく、宿主となる生物の細胞に寄生して、遺伝子を組み込んで増殖させるのです。この時に宿主は細胞を破壊される等の影響を受けるので、ウイルスは寄生される生物にとって病原体となるのです。
ウイルスは生物にとって病気の原因となるわけですが、病気の個体からウイルスが見つかったからといって、その病気の原因が見つかったウイルスであるとは限りません。例え、健常個体群からは検出されず、同じ病気に罹っている個体群からのみ検出されたとしても、そのウイルスが病気の原因となっている確証は無いのです。あくまでも病気の発症との相関関係が認められたに過ぎません。ピペットでウイルス粒子を吸い取って、健常個体に接種して病気の発症が確認できたとしても、ウイルス粒子以外の物質を一緒に接種している可能性は否定できません。近年ではウイルスよりも単純な構造をしているプリオンが病原体として発見されたこともあり、ウイルスが最小の病原体とは言えないのです。また、接種する健常個体であっても既に病原体となりうる微生物は保有していますから、例え純度100%のウイルス粒子を接種したとしても、病気の原因となっているのか要素となっているのかの判定は簡単にできません。とはいえ、既に研究がなされている既存のウイルスが病巣から検出されれば、症状、生命兆候や経験から原因ウイルスと判断することも可能です。厄介なのは、未知のウイルスとちょっとだけ遺伝子を変えた変異ウイルスです。
東南アジアのブラックタイガーを対象として10年、幸か不幸か完全未知のウイルスとは出会っていません。2004年にIHHNV感染が起こった時には、予期していなかったために検査体制を取っておらず、確証を得るまで時間を要しました。昨年秋にもウイルス様の斃死が相次ぎ、同様に検査体制を整えていないウイルスの出現と考え、これまで調査を重ねてきましたが、今のところ該当するウイルスは見つかっていません。各器官の病理切片から、朧気に正体が浮かび上がってきたところです。
正常細胞に混ざって、萎縮した細胞が観察でき、 ある種のウイルス感染が疑われる
5.おわりに
近年、世界的に新型インフルエンザ対策が施行されています。ヒトにとって、病原体となるウイルスはとても恐ろしい存在です。ヒトはワクチンや抗ウイルス薬を開発し、ウイルスはその攻撃を避けようと形を変える・・・イタチゴッコですね。エビに感染するウイルスの中には、包埋体と呼ばれる固い殻で自身を守るウイルスもいて、通常のウイルス処理では太刀打ちできません。この包埋体には殻を作らないウイルスも一緒に入ってしまうことがあることが最近わかってきて、ベトナムを始め東南アジア諸国の水産養殖用の水処理法について検討を進めています。
養殖産物や農作物、さらには野生生物に被害をもたらすウイルスは数多く、一度流行が起こると、その猛威を抑える術を知りません。2003年に霞ヶ浦で起きたコイヘルペスウイルス病は記憶に新しいことでしょう。ウイルスに限らず病原微生物全てに該当することですが、我々が知っている情報など、ほんの氷山の一角に過ぎないのです。ヒトに感染する病原微生物ですら「新興感染症」として次々に見つかっているのに、我々の命の源である食べ物やそれらを育むべき生態系を脅かすウイルスのすべてを知り得ることなど到底出来ません。それでも我々は生きるために戦わなくてはなりません。
ヒトが生命活動を営む上では、自然の理に反したり、生態系に影響を与えてしまうことも時として必要になるでしょう。持続的な社会を構築するためには、ヒトの活動あるいは環境微生物の活動が偏って活発にならないよう、常にバランスを諮る必要があると考えています。
参考図書
- 「アジアのエビ養殖と貿易」 、成山堂、2003年.
- 「エビと日本人」 、岩波新書、1988年.
- 「エビと日本人II―暮らしのなかのグローバル化―」 、岩波新書、2007年.
- 「生物と無生物のあいだ」 、講談社現代新書、2007年.
(以上)
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