古くて新しい環境問題 −重金属による環境汚染−

教授 坂田 昌弘 (Prof. Masahiro Sakata)
水質・土壌環境研究室

目次

  1. 重金属による環境問題の動向
  2. 中国大陸からの重金属の越境汚染
  3. 降水の重金属モニタリングの提案
  4. 引用文献
  5. リンク

1. 重金属による環境問題の動向

日本の四大公害病のうち、3つは重金属によるものです。すなわち、水俣病と新潟水俣病はメチル水銀、イタイイタイ病はカドミウムです。その他、鉛、ヒ素、六価クロムなどによる健康被害が、1950〜1960年代を中心に大きな社会問題となりました。このように、かつて公害と言えば、重金属が原因物質の代表でした。しかし、現在はどうでしょうか。例えば水銀に関しては、公共用水域の濃度は全地点で環境基準(0.0005 mg/L)が達成されています。現在でも水俣病の患者がおられ、またその認定の問題が裁判で争われていますが、水銀による環境問題は解決されたと思っている人が多いのではないでしょうか。

しかし、世界的には、北米や北欧の湖沼に生息する魚類にメチル水銀が高濃度で検出されたことが契機となって、地球規模での水銀による環境汚染とその健康影響が問題になっています。これは、新たな疫学研究により、メチル水銀に対して感受性が高い胎児への中枢神経毒性が、従来考えられていたよりも低い摂取量で発現する可能性が指摘されたことに起因しています(1)。これを受けて、わが国を含む米国、英国等の各国政府は、いくつかの魚種について妊婦に摂食制限を呼び掛けました。また、2003年6月にFAO/WHO合同食品添加物専門家委員会(JECFA)は、メチル水銀の暫定的耐用週間摂取量を3.3 μg/kg体重/週から1.6 μg/kg体重/週に引き下げました。

上記の水銀の場合もそうですが、現在はより低い濃度レベルでの重金属による健康影響(特に胎児や小児への影響)が懸念されています(1)。また、最近では地球規模での重金属汚染が問題となってきており、国際連合環境計画(UNEP)において、水銀、鉛、カドミウムに関する国際的な取組みについて検討が行われています。さらに、今日では人の健康保護だけでなく、生態系への影響も配慮することが求められるようになってきました。これを受けて、わが国では2003年に、水生生物の保全を目的に亜鉛の環境基準が設定されました。このように、重金属による環境問題は、正に古くて新しい問題と言えます。本コラムでは、現在私が行っている中国大陸からの重金属の越境汚染に関する研究の一端を紹介します。

2. 中国大陸からの重金属の越境汚染

中国大陸の東端に位置するわが国では、中国をはじめとする東アジア諸国の目覚しい発展に伴って排出される大気汚染物質による越境汚染が懸念されています(図1)。特にこの影響は、冬から春にかけて北西季節風の影響を強く受ける日本海側で大きいと言えます。酸性雨光化学オキシダント(主にオゾン)黄砂については、これまでに多くの調査や研究が行われてきました。しかし、微量ですが有害性が高い重金属については、調査や研究が十分ではありませんでした。

図1 中国大陸からの大気汚染物質の越境汚染
図1 中国大陸からの大気汚染物質の越境汚染

中国大陸から運ばれた重金属は、雨や雪によって大気から除かれ、地上に落下するとともに、エアロゾルやガス(水銀は主にガス状で存在)の状態でも地上に降ってきます。ここで、前者を「湿性沈着」、後者を「乾性沈着」と呼びます。これらのプロセスを通して、重金属は水や土壌を広く汚染し、その一部はやがて農作物や魚介類に濃縮されていきます。それらによる人の健康リスクや生態系のリスクを評価するためには、大気から降ってくる量はもちろんのこと、環境中の様々なプロセスにおける重金属の動きを定量的に明らかにする必要があります。これによって、はじめて上で述べたリスク評価が可能となるわけです。

そこで、私はこれまで不明であった日本における重金属(水銀、ヒ素、カドミウム、鉛など約10元素)の湿性および乾性沈着の実態を明らかにするため、全国の10地点にサンプラーを設置し(図2)、約3年半(2002年12月〜2006年3月)に亘って調査を行いました(2, 3)。このために、強風や大雪にも耐えられ、湿性沈着物(雨・雪)と乾性沈着物(エアロゾル・ガス)を交互に自動でサンプリングできる装置を開発しました。調査の結果、日本海側に位置する能代、中能登、松浦の各地点(図2でC、F、J地点)では、冬から春にかけて重金属の湿性沈着フラックス(1ヵ月間に 1 m2 当たりに降る量)と降水中濃度(1ヵ月間に降った雨の加重平均濃度)が共に著しく増加する季節変化を示すことがわかりました(4)。この一例として、鉛の結果を図3に示します。降水には水質環境基準は適用されませんが、図3からは冬から春に降った雨や雪の鉛濃度はこの基準(0.01 mg/L = 10 μg/L)を越えており、日本海側では鉛でかなり汚染された雨が降っていることが明らかです。一方、他の重金属については、現在のところ亜鉛を除いて水質環境基準を下回っていました。

図2 全国10地点に設置された湿性・乾性沈着物サンプラー
図2 全国10地点に設置された湿性・乾性沈着物サンプラー
図3 能代、中能登、松浦地点における鉛の湿性沈着フラックスおよび降水中濃度の月別変化
図3 能代、中能登、松浦地点における鉛の湿性沈着フラックスおよび降水中濃度の月別変化(棒グラフは湿性沈着フラックス、折れ線グラフは降水中濃度を示す。)

冬から春にかけて降水中の重金属濃度が著しく増加する原因として、中国大陸からの越境輸送の影響が第一に挙げられます。さらに、それは大気中の重金属濃度の増加によるのではなく、洗浄比(図4)の増加が大きく寄与していることがわかりました。私は、日本海側(特に北部から中部にかけて)では冬から春に強い風が吹くことによって、周辺の大気から雨や雪を降らす雲に大量の重金属が運ばれてくることが洗浄比の増加に関係していると考えています(4)。

図4 降水への重金属の取り込み
図4 降水への重金属の取り込み

3. 降水の重金属モニタリングの提案

東アジアで計画されている環境規制が将来実施されるという「現計画規制シナリオ」では、2030年における硫酸(酸性雨の原因物質)の沈着量は、1995年と比べて日本全体で1.2倍、日本海側で1.5倍に増加することが予測されています(5)。これに対して、石炭から高硫黄重油への転換が進むが、排煙対策は実施されないことを想定した「悲観的シナリオ」では、2030年の硫酸沈着量は日本全体で1995年の1.7倍、日本海、東シナ海側で2倍を超えるとの結果が得られています。東アジアでの工業活動や石炭等によるエネルギー生産量の増大によって、重金属の沈着量も将来増加することは間違いないでしょう。特に日本海側では、その沈着量が大きく増加する可能性がありますので、生態系などへの影響が懸念されます。そこで、重金属による長期的な越境汚染の影響を把握するため、私は現在環境省が全国規模(2007年度現在で31ヵ所)で行っている酸性雨モニタリングに、重金属を加えることを提案したいと思います。

4. 引用文献

  1. 佐藤洋: メチル水銀による生後の神経発達への影響. 科学 79, 1017-1021 (2009).
  2. Sakata, M. and Marumoto, K.: Wet and dry deposition fluxes of mercury in Japan. Atmos. Environ. 39, 3139-3146, (2005).
  3. Sakata, M. et al.: Regional variations in wet and dry deposition fluxes of trace elements in Japan. Atmos. Environ. 40, 521-531, (2006).
  4. Sakata, M. and Asakura, K.: Factors contributing to seasonal variations in wet deposition fluxes of trace elements at sites along Japan Sea coast. Atmos. Environ. 43, 3867-3875, (2009).
  5. 市川陽一他: 東アジアのエネルギー消費・大気汚染物質排出と酸性沈着の将来シナリオ. 環境科学会誌 15, 275-279, (2002).

5. リンク

(以上)

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