雌と雄の話

教授 小林 亨 (Prof. Tohru Kobayashi)
生体発生遺伝学研究室

目次

生態化学研究室は、2009年10月より生殖生物学を基盤とした研究室にリニューアルした。今後は、形態学、分子生物学を駆使して個体の連続性(種の維持)を可能とさせる生殖現象の基本原理を解明し、種の多様性、保全に貢献することを目指す。当面は特に、「雌雄性」の問題に取り組みたいと考えている。

生殖腺は、雌雄の間で最も顕著な差異を示す組織であり(精巣と卵巣)、生殖活動に不可欠であることは言うまでもない。後述するように、生殖腺では生殖腺分化過程における性ホルモンの産生を行ない、からだ全体に性差を誘導する。つまり、精巣と卵巣の分化(性分化)は個体の雌雄性が成立する過程で最も重要な現象である。性決定、生殖腺の発生・分化、性ホルモンの作用、性行動等の「性に関連する現象」はいずれも興味深い問題を提起する。性に関わる現象は、医学、薬学、農学、水産学、環境科学など様々な研究分野と密接に関わりながら、今後の進展が期待できる研究分野の一つである。

はじめに

性(雌雄性)は、一般に個体としての性を意味する。私たちヒトを含む多細胞生物の個体は、個体自身では永遠の生命をもつ訳ではなく、限りがある。それぞれの種を維持させるには、何らかの形で個体を連続させる必要があることは自明である。一般的には、多細胞生物の個体としての連続性は、有性生殖(雌雄性)によって保証されており、これにより種の維持、繁栄を可能とさせる。個体の連続性は、唯一次世代につながる細胞である生殖細胞が減数分裂過程を経て分化した配偶子である精子、卵によって初めて可能となる。そして精子と卵が受精によって1個の受精卵となり細胞分裂を繰り返した後、個体へと分化し、次世代へとつながる(図1)。

個体の性は大別すると1)受精、2)生殖腺の性分化、3)性ホルモンによる性差の誘導、の三つの過程から成り立っている。1)受精:この時点で性染色体の組み合わせが決まり、哺乳類の場合XYで雄、XXで雌となる。2)生殖腺(精巣と卵巣)の性分化:生殖腺は中胚葉の一部から発生し、この領域は性染色体の組み合わせにしたがって、雄では精巣が、雌では卵巣が分化する。その後、性分化した精巣と卵巣からは性ホルモン(性ステロイドホルモン)としてそれぞれ、男性ホルモン(アンドロジェン)と女性ホルモン(エストロジェン)が生合成される。3)性ホルモンによる性差の誘導:精巣と卵巣で産生された性ホルモンは血管を通じて様々な組織へと運ばれ、性ホルモン受容体(男性ホルモン受容体と女性ホルモン受容体)に結合し、作用する。性ホルモン受容体は転写因子として、性ホルモンの結合によって標的遺伝子の転写を調節する。つまり、付属生殖器官や脳の性差の構築過程にも、性ホルモン受容体によって調節される遺伝子発現が必要となる。

図1 脊椎動物の個体発生と連続性
図1 脊椎動物の個体発生と連続性

個体の連続性が種の維持をもたらす.この現象が「生殖」である.脊椎動物の「生殖」は雌雄性を示す有性生殖であり、その過程で性決定、性分化が起こる.

性決定と性分化

性の決定様式は動物種によって異なり、その要因も遺伝や環境等多種多様である。また、性転換する動物や雌雄同体現象を示す動物種も数多く存在する。しかし性的二型を示す生殖腺(卵巣・精巣)という器官は常に存在し、脊椎動物ではその生殖腺の性的型が個体の性の表現型の基盤となる。すなわち性の決定様式は多様であるが、その生殖腺形成過程では多細胞生物共通の分子機構が働いていることが予想される。事実、最近の研究成果から性決定は種特異的なスイッチで行なわれていることが明らかとなっている。脊椎動物の性決定遺伝子は、1990年にヒトの性決定遺伝子がSRYと同定された後 (Sinclar et al., 1990)、哺乳類以外の脊椎動物においてSRYの相同遺伝子の存在を確かめる研究が精力的に行なわれてきたが、これまでにそのような遺伝子は見つかっていない。最近のメダカで行なわれた脊椎動物で2番目の性決定遺伝子:dmyの同定の研究は、性決定遺伝子は動物種特異的であることを明確に示した(dmy同定に関する話は他を参照されたい[1])。

生殖腺の性分化は、少なくとも2つの意味を含んでいる(図2)。1つは、生殖腺に存在する生殖細胞が、精子になるのか、卵になるのか(生殖細胞の性分化)。もう1つは、生殖腺の構造が雄型になるのか(精巣)、雌型になるのか(卵巣)ということである(生殖腺の性分化)。この2つの性分化は互いに協調して起こっていることが知られている。精子や卵に分化する大元の生殖細胞(始原生殖細胞)は、性染色体を持つ脊椎動物では、他の細胞(体細胞)と同様にXXもしくはXYの染色体構成を持ち、すなわち、その遺伝子型としての性は存在しているはずである。しかし、多くの場合で始原生殖細胞はその遺伝子型によらず、性分化上の両能性を持っている。始原生殖細胞が性的両能性を持つことは下等脊椎動物では明らかである。魚類では多くの種で自然状態、あるいは実験的条件下といった環境条件の変化で性転換が起こることが知られている。また、自然状態で性転換を起こしたり、社会的な地位によって性転換したりするものでは、遺伝的な性というものが無い。つまり、性決定遺伝子が無いと考えられ、それらの始原生殖細胞は性的両能性であることになる。このことは、下等脊椎動物に限ったことではなく、哺乳類においても部分的には性的可塑性を持っていることが知られている。また、この性的可塑性は始原生殖細胞に限られたことではなく、器(うつわ)である生殖腺を構成している体細胞でも完全かはともかく、その性質を持っていることを意味する。

図2 脊椎動物の生殖腺の性分化
図2 脊椎動物の生殖腺の性分化

受精卵が分裂を繰り返し、個体としての「からだつくり」をしていく過程で生殖細胞(始原生殖細胞)が形成され、生殖腺が形成される場所まで移動してくる.そこで、性的に未分化な未分化生殖腺を形成する.未分化生殖腺は遺伝子型に従って、生殖細胞、体細胞が性分化する.性分化により生殖腺は精巣、卵巣へと分化・発達する.

性的可塑性

魚類では、人為的に性ホルモン(女性ホルモンや男性ホルモン)を投与することによって容易に本来の性(遺伝子型の性:XX、XY)とは逆の性に性転換させることができる。魚類のように性ホルモン投与や内在性エストロゲンの調節によって容易に性転換が起こるものでは、環境要因が生殖腺体細胞の性的可塑性に強く関与することが示唆されている[2]。また、上述したように、魚類では社会環境条件の変化により、成熟個体であっても性転換する種が多く知られている。ここでは、特殊な例ではあるが、熱帯域のサンゴ礁に生息する魚でみられる両方向(雄から雌。雌から雄)の性転換について説明しよう。一般的に知られている「雌から雄」(雌性先熟)、「雄から雌」(雄性先熟)、性転換については他を参照されたい[1,2]。

図3 雌雄両方向に性転換するオキナワベニハゼ
図3 雌雄両方向に性転換するオキナワベニハゼ
  • オキナワベニハゼ (Trimma okinawae)
  • 雌の生殖腺(♀)では、卵巣(O)が大きく、多数の大型の卵母細胞がみられる.雄の生殖腺(♂)では精巣(T)が大きく、精子がみられる.
  • 大小の2尾の雌をペアで飼育すると、5日後には大きい方の雌が雄に性転換する.大小2尾の雄をペアで飼育すると、10日後には小さい方の雄が雌に性転換する.

両方向の性転換

オキナワベニハゼ(Trimma okinawae)は大きな雌と小さな雌を同じ水槽に入れると約5日で大きな雌が性転換し、雄となる。この雄は、同じ水槽にさらに大きな別の雄を入れると再び雌に戻る。同じような条件を繰り返すと何度でも性転換が起こる。これを両方向の性転換と呼ぶ[1]。この性転換は視覚情報がキューになっている。オキナワベニハゼの性転換過程において性行動の変化は、性転換の方向に関係なく、30分以内に起こる。生殖腺の機能的性転換は、「雌から雄へ」は5日、「雄から雌へ」は10日で完了する。この魚は解剖学的には雌雄ともに1対の精巣及び卵巣(計2対の生殖腺)を持つ。これが、両方向の性転換を可能にさせている。この両方向の性転換の分子機構がどのようなものかは大変興味深いが、最近の研究では、精巣、卵巣内の生殖腺刺激ホルモン受容体遺伝子の発現のオン/オフの調節が雄期、雌期それぞれで行なわれることによって生殖腺の機能的性転換を可能にさせていることが明らかとなった[3]。今後、雄機能時、雌機能時それぞれにおける両生殖腺の機能変化の実態および環境要因との関わり、機能的性転換過程における脳の性分化がどのようになっているかは興味深い。

おわりに

性的可塑性は完全か、部分的かはともかく脊椎動物一般にみられる現象である。これまで、主に魚類で様々な現象として報告されてきたが、その仕組みは最近になるまで、ほとんど分かっていなかった。最近の分子生物学的手法を用いた解析からその仕組みが徐々に明らかになりつつある[2]。魚類では、一旦、雄あるいは雌として行動する個体が逆の性として行動することが可能である。つまり、魚類では一旦、脳が雄型あるいは雌型に分化しても環境条件によって容易に逆の性に性転換することができることを意味する。これは、哺乳類のように脳の性分化後は、性転換しないのとは明らかに異なる。魚類での性的可塑性のメカニズム解明のための研究は魚類のみならず、ヒトでみられる性同一障害のような疾患解明に貢献できるのはないかと思われ、魚類の脳の性分化機構がどのようになっているかが今後の焦点の一つであることは疑いがない。性分化、性的可塑性の分子機構の解明の研究はこの数年で著しい進展を示しているが、紙面の関係で今回はその詳細に触れることはできなかった。また別の機会に紹介したい。

参考文献

  1. 長濱嘉孝・小林 亨・松田 勝. 魚類の性決定と生殖線の性分化/性転換 In:動物の性はどのように決まるか? 蛋白質 核酸 酵素 Vol. 49, pp. 116-123. 共立出版 (2004)
  2. Kobayashi, T. and Nagahama, Y. Molecular aspects of gonadal differentiation in a teleost fish, Nile tilapia. Sexual Development, 3 (2-3), 108-117. Review. (2009)
  3. Kobayashi, Y., Nakamura, M., Sunobe, T., Usami, T., Kobayashi, T., Manabe, H., Paul-Prasanth, B., Suzuki, N. and Nagahama, Y. Sex-change in the Gobiid Fish is mediated through Rapid Switching of Gonadotropin Receptors from Ovarian to Testicular Protion or Vice-versa. Endocrinology, 150 (3), 1503-1511. (2009)

(以上)

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