開発途上国における都市廃棄物問題
助教(2015年転出) 戸敷 浩介 (Assist. Prof. Kosuke Toshiki)環境政策研究室
はじめに
皆さんは昨年(編注:2010年当時)から公開されている映画『BASURA バスーラ』をご存じでしょうか。この映画は、高校生以下が入場無料ということもあって、一部のメディアで取り上げられ、話題になっています。では何故、この映画が入場無料になったのか。それは、この作品を撮った監督の四ノ宮氏が、日本の多くの若者に観て欲しいと希望したからです。「BASURA」とは、タガログ語で「ゴミ」を意味する言葉で、この映画はフィリピンの首都マニラ近郊のゴミ捨て場で暮らす人々、ウェイストピッカーを題材にしたドキュメンタリ映画です。四ノ宮監督はこれまでに『忘れられた子供たち スカベンジャー』(1995年)と『神の子たち』(2001年)でフィリピンのウェイストピッカーを題材とするドキュメンタリ映画を発表しており、本作が3作目になります。いずれの作品も国際的に高い評価を受け様々な賞を受賞するとともに、先進国が開発途上国の貧困と衛生環境、都市廃棄物問題などに注目するきっかけともなりました。
私の専門は、都市の廃棄物政策です。特に、開発途上国の都市における廃棄物管理手法について研究しています。そこで今回のコラムでは、開発途上国における廃棄物問題について取り上げて考えてみたいと思います。ついでに、開発途上国を研究対象とすることの面白さと難しさも、お伝え出来ればと思います。
パヤタスの現在
ところで、実は私もフィリピンのゴミ捨て場を訪れたことがあります。場所は『神の子たち』の舞台となったパヤタス廃棄物処分場です。そもそもフィリピンのマニラ郊外にはスモーキーマウンテンという最終処分場がありました。この名前は、廃棄物から発生するメタンガスが自然発火して、常に煙が立ち込めていることに由来しており、多くのウェイストピッカーが不衛生な環境の中、ゴミを拾って生計を立てるアジア最大のスラムと呼ばれていました。四ノ宮監督の第1作目『忘れられた子供たち スカベンジャー』の舞台となった場所です。この最終処分場はフィリピンの貧困の象徴として各国の批判を浴び、1995年に政府によって閉鎖されました。そこで、ウェイストピッカーの多くがパヤタス廃棄物処分場に活動の場を移し、いつしかパヤタスには第2のスモーキーマウンテン、もしくはスモーキーバレーと呼ばれるスラムが形成されました。そして2000年7月、降り続く雨の影響でうず高く積まれたゴミが高さ30m、幅100mに渡って崩落し、犠牲者は確認されただけでも234名、実際には1000名近くが亡くなったのではないかと言われる未曾有の大惨事となりました。この当時の様子は『神の子たち』でカメラが生々しい映像を記録しています。その後、パヤタス廃棄物処分場は一時閉鎖され、翌2001年半ばに再開され現在までに様々な環境整備が行われています。
私がパヤタスを訪れたのは2006年2月頃だったのですが、その頃には『神の子たち』で見た光景ではなく、ある程度整備された処分場になっていました。ウェイストピッカーはパヤタス最終処分場内に居住することを禁止され、処分場入り口は政府によって監視されており、原則的に子供が働くことも禁じられておりました。また、ウェイストピッカーはチームを組んで、収集作業を行える時間帯が分けられており、以前のような奪い合いが起こることはほとんどなくなったそうです。
また、パヤタス周辺には面白い取組を行っているNGOもありました。このNGOでは、ウェイストピッカーが回収してくるドイパックと呼ばれる飲料容器を買い取り、これを洗浄して紐状に加工して、様々な物を作って販売しています。貧困層の女性たちを優先して雇用しており、ウェイストピッカー対策と同時に貧困層の雇用対策としての狙いもあります。開発途上国でリサイクルに従事する多くの人は、ウェイストピッカーをはじめとする貧困層が中心です。一見、原始的なリサイクル方法にも見えますし、実際に先進国で行われているリサイクル技術に比べれば、このようなリサイクルはレベルが低いとも言えるでしょう。今、日本で行われているプラスチックリサイクルの多くは、回収したプラスチックを機械で破砕してからマテリアルリサイクルもしくはケミカルリサイクルを行っております。しかし、こうした機械は開発途上国では購入することも難しく、また購入したところで運転資金の問題もあります。そして、それ以上に問題なのは、そうした機械はある程度の知識や技術がないと扱えないということです。つまり、簡単に言えばそのような先進国の技術を貧困層の人が扱うことは大変に難しいため、貧困対策にはならないということです。
開発途上国に対する先進国の国際援助などで話題になる言葉に、「適正技術」というものがあります。例えば、高度な医療機械を開発途上国の農村部の小さな病院に供与しても、扱える人も運転資金もメンテナンスもなければ宝の持ち腐れです(実際にこのような事例が過去の日本のODAでもありました)。援助額自体は高額であるため、十分過ぎる程の援助をしたように見えますが、実際には何の役にも立っていません。これと同様に、開発途上国のリサイクルに関しては、プレイヤーが貧困層であることを考慮した適正技術を考える必要があるということを、このフィリピンのNGOの取組は示唆していると言えるでしょう。
ウランバートル市の都市廃棄物管理計画
フィリピン国内の廃棄物処分場は、パヤタスの崩落事故をきっかけとして徐々に整備が進むとともに、ウェイストピッカーの管理などによって以前ほどの悲惨な状況からは脱したように見えます。しかし、実際には現在でもいくつかの最終処分場で以前と同様の光景が広がっています。パヤタスなどある程度整備された最終処分場では生計が立てられなくなった人たちが、他の整備されていない廃棄物処分場に流れて、また別のスラムを形成しているからです。都市廃棄物問題に取り組む私たちの研究分野は、廃棄物から資源をいかに効率よく回収しリサイクルするか、そして残った廃棄物をいかに衛生的に、環境負荷も少なく処分していくかを考えなくてはなりませんが、特に開発途上国に関しては、それよりまず貧困対策としてリサイクルシステムを構築しなくてはならないと言えるでしょう。仮に資源循環の効率や環境負荷の面で劣っていても、貧困対策を優先するべきだと私は考えています。
似たような事例が、モンゴル国ウランバートル市における都市廃棄物管理計画でも見受けられました。
日本のODAの一環として、ウランバートル市の都市廃棄物からRDF(Refuse Derived Fuel:廃棄物固形燃料)製造を導入するという計画が持ち上がったことがあります。RDF製造技術とは、廃棄物を原料として固形燃料を製造し、廃棄物発電やボイラーで有効活用するというもので、日本でも導入されてきました。しかし、詳細は省きますがメカニカルトラブルが続発し、2003年には三重県で7名の死傷者を出す爆発事故も起きています。大変制御の難しい技術であり、このような技術をウランバートルで導入するということに私は違和感を覚えました。更にウランバートル市では、RDF製造技術の導入と同時に、資源ごみと一般ごみの分別も導入することが計画されていました。資源としては、金属やガラスとともにRDFの減量として紙類とプラスチック類をまとめて分別排出し、それ以外のゴミ(多くは生ゴミですが)と分けるという方法です。資源として排出されたゴミは選別工場に搬入され、金属、ガラス、紙類・プラスチック類のように資源ごとに選別され、生ゴミを中心とする一般ゴミは、廃棄物処分場に搬入されて埋め立てられるという計画でした。
ちなみに、ウランバートル市のウランチュールト廃棄物処分場にも視察に行きましたが、ここはフィリピンの昔のスモーキーマウンテンに似た光景が広がっていました。メタンガスの自然発火によって煙が立ち込め、およそ300人くらいのウェイストピッカーたちが処分場内に簡易住居を設置して資源の回収を行っています。ダンプカーで廃棄物が搬入されてくると、それが降ろされる前にウェイストピッカーたちは我先にとダンプカーに飛びつき、資源の奪い合いが始まります。新しい都市廃棄物管理計画では、現在こうして資源回収作業を行っているウェイストピッカー達を選別工場で雇用し、資源の選別作業に従事させることとしておりました。
私がウランバートル市を訪れたのは博士課程1年目の2005年夏で、ウランバートル市における再生可能エネルギー導入の可能性を探るための調査を行うため、8月と9月の2カ月間滞在する予定でした。当初は風力発電や太陽光発電の利用状況や、導入拡大にはどのような問題点があるのかといったことを調べていました。その最中にRDFによる熱回収という計画を知り、せっかくの機会なので時間が許す限りこの問題について調査してみることにしました。そして、調べている内に、RDF製造技術がコントロールの非常に難しい技術であることに加え、果たしてウランバートル市民がこのような分別排出を行ってくれるのか、ウェイストピッカーが正しく選別作業を行ってくれるのかなど、様々な疑問が浮かびました。また、ウランバートル市側はあまりRDFのことについて詳しく知らないということも問題でした。市の担当職員にヒアリングを行った際、RDFの負の情報については何も知らないため、私が逆取材を受けるようなこともあったほどです。
こうして都市廃棄物管理について調査し始めたことがきっかけとなり、2006年の廃棄物資源循環学会研究大会のポスターセッションで研究成果を「開発途上国の大都市における一般廃棄物の適正処理方法に関する研究―モンゴル国ウランバートル市を事例として―」にまとめて発表しました(詳しく知りたい方はポスターの方をご覧ください)。
私にとっては開発途上国の都市廃棄物管理の研究にのめり込むきっかけとなる事例でした。調査の過程では、ヒアリングのためのアポイントを取ったのに3日連続で約束をすっぽかされたり、まるっきり嘘のデータを渡されたり、一般市民には日本語どころか英語も通じないため普通に生活するのも苦労したりと、様々な困難がありましたが、その一方で親しくなったモンゴル人たちと夜のディスコ(日本ではクラブですがモンゴルでは今もディスコです)に遊びに行ったり、射撃場に連れて行ってもらったり、馬に乗って草原を駆けまわったり、楽しい経験もたくさんありました。また、そうして仲良くなると私の研究についても興味を持ってくれて、様々なコネを駆使して必要な資料を手に入れてくれたり、時には政府高官のアポイントを取ってくれたり、通訳をしてくれるなど、尽力してくれました。今でも彼らとは連絡を取り合い、私の研究にも力となってくれています。
ゲル地区における廃棄物管理
最後に、現在私が着目しているウランバートル市の都市廃棄物問題について紹介したいと思います。
私は上記の調査を行って以来、幾度かウランバートル市を訪れ、どこに改善のポイントがあるのか、どういった方法で改善すべきかについて検討してきました。
ウランバートル市は社会主義時代に旧ソ連式のアパートや広い道路が盆地の中央部に整備されましたが、民主化し市場経済体制に移行した後、地方の遊牧業の崩壊によってウランバートル市に元牧民が流入し、アパート地区の周囲(盆地の斜面部分)にモンゴルの伝統的な移動式住居であるゲルを用いて定住化し始め、スプロール現象(都市が無秩序に拡大する現象)が起こりました。今では100万人強の市民の内の約6割がゲル地区住民だと言われています。一般的に、ゲル地区住民はアパート地区住民に比べて貧困層が多いのが現状です。また、このゲル地区には、電力や上下水道といったライフラインが現在でも十分に整備されておらず、道路も大部分が未舗装です。更に、冬季は気温マイナス30度まで下がるウランバートル市では、アパート地区には石炭火力発電所から繋がるセントラルヒーティング設備が整備され熱供給が行われていますが、ゲル地区では各家庭がゲル内の石炭ストーブで石炭を直接燃焼し、暖を得ています。この煤煙が盆地内に滞留したり、排出される石炭焼却灰の不法投棄などが地域環境の汚染に繋がっているなどの問題が起こっています。
アパート地区の住人は、ごみステーションやアパートの踊り場などにごみを排出し、管理人や収集業者が回収していきますが、ゲル地区に関しては事情が違います。まず、ゲル地区住人の中には経済的な余裕がなくごみ収集サービスに対する料金の未払いが多く発生しており、そのため収集業者がごみを収集しないという問題が起きていました。この問題に関しては、JICAの協力によって、ごみ収集体制が変更され、基本的には改善されております。しかし、更に問題があります。それは、道路が未舗装であるため、標高が高く険しい斜面の地域には、収集車が入り込めず、結果的にゲル地区に収集サービスが行き届いていないということです。収集サービスが行き届かないと、不法投棄が多発します。
私が最近着目しているのは、ゲル地区の地形や道路網などの地理情報と不法投棄や各ゲルから排出される廃棄物の発生特性をGIS(Geographic Information System:地理情報システム)上で把握して、地域環境汚染の現状把握を行い、例えばごみステーションの設置やその位置などによるシナリオを設定してその効果を解析するといった研究です。また、フィリピンのドイパックの事例で見られたような資源回収や適正なリサイクル技術を導入することにより、ゲル地区における雇用が生み出せるような取組についても、検討していければと考えています。
おわりに
私は国内外の都市廃棄物問題についてこれまでいろいろと調査・研究をしてきました。都市廃棄物は都市の規模や経済などに加え、住民の経済レベルやライフスタイル、ゴミに対する考え方や文化、それまでの廃棄物処理の経緯などによって大きく事情が異なります。今回のコラムで取り上げた開発途上国はもとより、日本国内の都市についても廃棄物には量や質に大きな違いがあります。それ故に、全ての都市で全く同じ対策をすれば良いということはなく、様々な事例を検討しながら各都市に合った廃棄物管理の手法を見つけ出していかなくてはなりません。それがこの研究テーマの面白さでもあり、難しさにもなっていると思います。
(以上)
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